美智代の世界遺産紀行 ~400ヵ所達成!~ 京都在住の世界遺産研究家です。訪れた世界遺産は50ヵ国以上、400ヵ所。家族で旅した体験談を詳細にリポートします。

ハイドパークバラックス② 展示にみる入植の歴史

さらに理解を深めるために、展示の一部を紹介します。
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16世紀、大航海時代は植民地開拓の時代でもあります。
ヨーロッパの国々は、アメリカ、アフリカ、アジアなどへ囚人を送りました。
中でも、イギリスがオーストラリアに輸送した流刑者の数は抜きんでています。
1788~1868年、166,000人、960隻以上が4~8ヶ月かけて24,500kmを航海。
地図には各国の囚人数が書き込まれ、”convict cargo(囚人貨物)”と説明しています。
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どうして、そのような状況が生まれたのでしょう。18世紀後半のイギリスの様子を描いた絵画。
産業革命で潤っていると思いきや、その一方で失業者が多く、犯罪が多発しました。
軽犯罪でも収監するほどで、刑務所は満杯、それまで流刑地だったアメリカは1776年独立。
1770年ジェームスクックが発見したオーストラリアに白羽の矢がたったのです。
絵画の右手前で男性のお尻ポケットから財布を盗んでいる少年は9歳。
流刑者の最年少です。オーディオガイドでは彼のエピソードが語られます。
我が息子は7歳ですから、2年後にこんな長旅をし、囚人として暮らすなど考えられません。
それだけ大勢の様々な人が流された訳ですから、自分の才能を町づくりにも生かせたのです。
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1788年1月26日、初代総督アーサー・フィリップの下、11隻がシドニー湾に上陸。
乗っていた1500人のうち半数が囚人だったそうです。
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この絵は、開拓するシドニー湾の様子を描いたものです。
何もない土地で開墾して農地を作り、家をたてて町を作る苦労は計り知れません。
しかも、その労働力となるのは囚人たちです。
絵の左側では石きりの様子、中央の赤い服は総督でしょうか、海には工場もあります。
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入植当初、シドニーは土地がやせていたので、湾を奥深く入ったパラマタが開拓の地でした。
後ほど紹介しますが、初代総督アーサー・フィリップの邸宅があり、のんびりした様子。
絵画を見ると、農地や放牧、のんびり木を切る人、アボリジニの姿もあります。
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最後に、ハイドパークバラックスでの囚人の生活ぶりです。
オーストラリアは流刑地という単純な出来事しか知らなかった私にとって、
そこに起こった人々のドラマに共感し、この国をもっと深く知るきっかけになりました。
何より、流刑者でありながら、街を作った建国の人々に対する思いが伝わってきました。
11ヵ所あるオーストラリア囚人遺跡群のまだ2カ所目。
すべて訪れた時、どういう感想になるのか・・・時間はかかりますが、きっと制覇します!

f0019856_602773.jpg058.gif<美智代のワンポイント> カフェで一服 
入口を出たところに、f0019856_6221100.jpgハイドパークバラックス・カフェが併設されています。おしゃれな雰囲気で食事も美味しかったです。 

◆オーストラリア囚人遺跡群(2010年登録)◆
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by micho7E | 2014-03-26 17:02 | オーストラリア(シドニー)