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michoing.exblog.jp世界遺産短歌やお勧め世界遺産を★★★で表す「michoラン」など独自企画で紹介します。
写真:モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
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2011年 11月 01日
午後6時半、国境を越え、ネウムを通って、再びドゥブロブニクに戻ってきました。昨日は間に合いませんでしたが、今日は夕日に合わせて帰ってきました。真っ青だったアドリア海は薄紅色に変わっていました。心配していたモスタル観光が無事終わり、ホッとする一方、この美しさの裏に隠された内戦の悲惨さが頭から離れませんでした。さあ、明日は旅のクライマックスであるドゥブロブニク観光。旧市街のホテルに宿泊します。 ピレ門近くの駐車場に車を止め、荷物を下ろしていた時、重大なミスに気づきました。 カメラバックがない!!これまでの旅を記録したビデオとカメラが入っているのです。 その瞬間、全身が凍り、震えが走りました。さっき夕景を見た場所に置き忘れたに違いない。 30分以上は経っていたと思いますが、速攻で戻ると…ありましたぁ。 バックが黒く、暗闇で目立たなかったのかもしれませんが、クロアチアの治安の良さに感謝♪ 市街にはレンタカー事務所がないので、ホテルにチェックインした後、空港まで行き、 車を返却してから、タクシーで戻ってきた時には、午後9時を過ぎていました。 →地図 ◆ドゥブロヴニク旧市街(1979、94年登録)◆ ![]() ←毎日コツコツ更新中!応援してくださいね。 2011年 10月 30日
![]() 1992年に内戦が始まり、物資の補給路だったスタリー・モストは翌年11月、破壊されました(現地で買った写真集より→)。その後、ユネスコなどの協力で川に落ちた石材を拾い上げ、2004年見事に修復したのです。見た目は完全に元通りですが、人の心が完全に修復された訳ではありません。世界遺産は、文化財(この場合、スタリー・モストの素晴らしさ)に価値が置かれますが、本当の意義というのは、それをきっかけに人々の心を通わせることにあるのだと確信しました。真の「平和の架け橋」になることを心より祈って、ドゥブロヴニクに戻りました。◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 29日
![]() 町全体が廃墟となり、破壊された石の橋にかわり、細い木造の橋?がかかっています。 飛び込みをしていた若者からこの写真を買って帰りました。この時を忘れないように― ◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 27日
スタリー・モストの周りはきれいに修復されていて、内戦の爪痕は目につきませんが、観光ルートから少し外れると、廃墟のような建物があちこちにあります。(←)ここは交通量の多いメーン道路の交差点。爆破され、骨組みだけになったビルや、銃弾の跡が無数に残る建物が集中していました。 1990年代に入り、旧ユーゴスラビアの各地で独立の機運が高まる中、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナでも独立を宣言。それに反対するセルビア人と、賛成するイスラム教徒のボスニア人とカトリック教徒のクロアチア人が手を結んで内戦になりました。![]() ![]() しかし、ボスニア人とクロアチア人の間にも対立が生まれ、3勢力が入り混じって戦争が激化。最終的に20万人の死者と200万人以上の難民を出し、1995年アメリカの調停で終結しました。(→)壁に残った銃弾の穴は、観光客でにぎわう通りの少し外れで、ひっそりとその事実を物語っていました。戦争は過去のことではなく、今も人々の生活の中で続いているんですね。 自分の町でこんな内戦が起こったらどうなるだろう。今の日本では考えられませんが、同じ過ちを繰り返してはならない!ということだけは分かります。偶然、私たちのレンタカーの前を走る路線バスに日本の国旗を見つけました。「From the People of Japan」と書いてあります。2002年日本から贈られたものでした。信号でバスの隣に停車すると、乗客が手を振ってくれました。日本からの支援を誇りに思うとともに、国際協力の大切さを改めて感じました。 2011年 10月 25日
そのまま歩いてやってきたのは、コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤ。1618年に建てられたイスラム教の寺院です。ペルシャ絨毯が敷き詰められた礼拝堂では、ミフラーブに向かって父子が祈りを捧げていました。小ぢんまりしていましたが、白壁にカラフルな植物模様が描かれ、明るい室内です。 ハイライトは、ミナレットに登ること。暗いらせん階段を上がっていくと、小さいバルコニーに出ます。強風とともに、スタリー・モストが目の前に現れました(→写真)。何と、綺麗なアーチでしょう。接着剤となるセメントを一切使わず、組み合わせた石を鉄の鉤で補強しただけと言います。1566年に造られたオスマン建築の傑作でもはや神業。ネレトヴァ川にかかる橋はたくさんありますが、群を抜いて輝いていました。<美智代の豆知識> その他の見所◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 24日
橋を渡って対岸にやってきました。お土産屋さんがずらり並んで活気があります。かつては彫金、織物、革細工など職人が集まっていた地域でした。そして、この前を塩やオリーブオイル、羊毛などを扱う商人が行き来したのです。今、行き交うのは観光客ですが、売られているトルコ刺繍や橋を打ち出した銅板などに名残がありました。 三叉路になったこの角にひっそり置かれていた石碑を見つけました。“DON'T FORGET”と刻まれています。肉親を殺した人の顔を知っているというこの町で、暮らし続ける辛さは計り知れません。しかし、時は流れ、前に進んでいかなければならない。決して過去を忘れることなく、心に留めた上で、苦しみを乗り越え、未来に進もうとする強い決意を感じました。◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 23日
内戦のイメージが強いモスタルですが、そんな気持ちとは裏腹に、橋では軽快な音楽が流れ、海パン姿の若者が欄干を行ったり来たり…。小さな籠をもち、チップを集めているようでした。何が起こるのか?と様子を見ていると、黒い水着に身を包んだ男性が現れ、息を整え、手を広げて、ピョーン!と飛び降りました。一瞬でしたが、空中にふわりと浮かんでいるよう、そして、バッシャン!周囲から拍手喝采が起こりました。 2009年政府統計局の発表によると、失業率は24.8%、若者はもっと高いと言います。「世界遺産になると観光開発が進む」と批判する人がいますが、観光地になることによって、仕事が生まれ、そこから人々の生活が復活する。そういう役割もあるのです。とは言え、2回目の飛び込みを散策しながら待っていましたが、水着姿の男性がうろうろしているものの、4時間近くたっても飛び込みませんでした。一度でも見られたら、ラッキーなのかも…? 息子との記念写真をお願いすると、難なくOK。一見、怖そうですが、気さくな若者でした(↑)。 <美智代の豆知識> 飛び込み大会◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 22日
![]() 午後12時、近くの駐車場に車を止め、旧市街にやってきました。2000m級の山々が連なるディナル・アルプスを背景に、アドリア海へ注ぐネレトヴァ川がエメラルド色をしてゆったり流れ、石造りの家々が統一感のある風景を造りだす絵画のような町でした。モスタルとは、「橋の守り人」という意味。中でも、1566年オスマントルコ時代に建てられたアーチ型のスタリー・モストは町の象徴で、昔は大勢の商人が行き交っていました。しかし、内戦以降、ここを行き来する大半は観光客。西側(↑左)はカトリック教徒のクロアチア人、東側(↑右)はモスクが点在するムスリム人の居住区にはっきりと分けられました。(↑)左手の山頂に燦然と輝いていた十字架に、民族対立の難しさを感じました。→地図 ◆モスタル旧市街の古橋地区(2005年登録)◆ 2011年 10月 21日
国境を過ぎるとすぐ右手に「WELCOME」と書かれた看板がありました。怖いイメージを持っていましたが、この辺りはなんら他国と変わりません。赤い丸印がモスタル。その他の観光地も地図で紹介されていました。とはいえ、何が起こるか分かりません。「寄り道せずに行くぞ!」という夫の言葉に気を引き締め直しました。少しドライブすると、イスラム教のミナレットが見えてきました。モスクです。この国では人口の44%がイスラム教徒。90%近くがカトリック教徒のクロアチアとは大きく違います。道路の両脇は緑豊かな平地で家が点々と連なっていました。しかし、その半分近くは屋根や壁が壊れた家屋や廃墟、建設中の家も多くあり、内戦の爪痕を感じます。これまで見てきた海沿いの美しい町並みとは対照的に、簡素で寂しい印象でした。それでも、モスタル方面に向かう車は多く、ほぼまっすぐな幹線道路。正午すぎ、迷うことなくモスタルに到着しました。 <美智代の豆知識> ボスニア・ヘルツェゴビナとは? 2011年 10月 20日
![]() 10時50分 長い車の列ができ、一端停止。国境です。まだゲートは見えませんが、観光バスが何台も並び、「安心したぁ」と夫が大きく息をつきました。ボスニア入国のパスポートチェックは、(→)この小さい小屋で行われます。パスポートを3人分、車の窓から差し出しました。監察官は難しい顔でペラペラめくると・・・突然、「KAZUKI?」と息子の名前を呼びました。私はこの子です!と後部座席を指さしました。すると、にっこり笑顔に。続いて、「MICHIYO?」。私私! 意外にとってもフレンドリー。な~んだ、緊張して損しちゃったなぁ。→地図
2011年 10月 17日
5月4日快晴 昨日から2連泊していたラパッド地区にある「Hotel Ivka(イヴカ)」。ドゥブロヴニクでは旧市街にこだわらなければ多くのホテルがあります。私はレンタカーなので、むしろ離れていて安く、駐車場つきの方がよいわけです。シャワーのみでしたが、快適に過ごせ、広いロビーの三ツ星ホテルでした。とここで、今日の予定を決めかねていました。ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くつもりなのですが、レンタカーで行くべきか、ツアーで行くべきか…。レンタカーで自由に行きたいのですが、ガイドブックには、「治安が回復しておらず、現状では自粛したい」と書いてあります。ホテルのカウンターで尋ねると、「治安が悪いのは以前のこと。大勢が行っているし、今は大丈夫だよ」と笑顔でキッパリ! しかし、ガイドブックには、「地元市民の言う安全レベルは、戦争状態と比べての安全であり、旅行者にあてはまるとは限らない」とも書いてあるのです。とはいえ、昨日の青年の言葉も後押しし、レンタカーで行く決心をつけました。そうと決まればLet's go! 夫は緊張のせいか朝ごはんがのどを通らない様子。私はデザートまでしっかり食べました。 2011年 10月 16日
夜は、新市街のホテルが紹介してくれたイタリア料理店「Belvedere(ベルベデーレ)」に行きました。魚介のスパゲティを注文すると、プリップリのエビと大きなムール貝がゴロゴロ入った贅沢なお皿が登場。これで65クーナ(1400円)!食に保守的な息子も大喜びで、自らフォークを握ってチュルチュル…♪![]() 地ビールを頼むと、「ラシュコ」というスロベニアの銘柄が出てきました。なんでも、スプリットで作られているのだそう。軽い飲み口で、海のエキスがたっぷり入ったお料理とよく合います。一足先に食事を終えた息子は、よちよち歩きで隣のテーブルの美女の元へ。"He likes beautiful woman!" と私が彼女に言うと、笑顔で抱き上げてくれました。だってホントなんだもん。やっぱり男の子だから? 母としては、この先が思いやられます。(苦笑)※1クーナ≒21.75円(2008.2現在) <美智代のワンポイント> 寿司の値段に要注意! 2011年 10月 15日
2011年 10月 14日
日本に帰国して数か月後、こんな写真が送られてきました。コトルの城壁巡りをしている時に知り合ったブルガリア女性からでした。よちよち歩きで石段を上る1歳6ヶ月の息子を気に入り、数名の男女が代わる代わる写真を撮っていました。この旅ではよくあることです。ブルガリアと言えば、相撲の琴欧洲!地元でも有名らしく、この話で盛り上がりました。また、偶然、隣に座ったのはボスニア・ヘルツェゴビナから来た青年。面長で黒縁メガネ、ハリー・ポッターによく似ていました。「明日、モスタルに行こうと思うんだけど、治安はどう?」と聞くと、「No problem!」ときっぱり! レンタカーで行くつもりではなかったのですが、彼の発言で行く勇気がわいてきました。こうして、いろんな人と繋がれることが旅の楽しさですね♪ <美智代の豆知識> コトルとブルガリアの意外な関係→この後、再びドゥブロヴニクへ戻ります。 2011年 10月 13日
![]() コトル観光最大のハイライトは、城壁登り!!(←)このアーチをくぐると、城壁沿いに細い石段が続き、何度か折れ曲がりながら頂上まで続いています。 息子にはベビーカーから下りてもらって、手をつないで上がります。城壁と言っても、腰くらいの高さしかなく、一段ごとにエメラルドグリーンの海と赤レンガの町並みが眼下に広がっていきました。白い尾を引きながら港に入ってきた観光船。思わず手を振りたくなります。中腹まできたところで、改めてやってきた方向を振り返りました(↑)。ものすごく奥まった入り江です。ここにスラブ諸国で最初の航海士学校ができ、ロシアのピョートル大帝が士官学校生を留学させたそうです。海に活路を見出していった人々の気持ちが分かるような気がしました。 ◆コトルの自然と文化‐歴史地域(1979年登録)◆
2011年 10月 12日
石畳に細い路地裏…この町も中世ヨーロッパの面影をあちこちに残しています。日差しを遮られた冷たい空気が気持ちよく、ベビーカーをごろごろ言わせながら左右のお店をキョロキョロ。気分だけはヨ~ロピア~ン♪ とそこへ、すっごく可愛いTシャツが目に飛び込んできました。(↓)一見、ど派手な女の子のプリントですが、頭飾りやズボン、足の部分には、紺色のビーズが付けてあり、アドリア海のようにキラキラ輝いているのです。![]() すぐさま、お店に入り、買ってしまいました。普段は着られない服でも海外だったらOKだったりするし、新しいおしゃれにもトライできそう。ドゥブロヴニクで着るのが楽しみだなぁ。 ◆コトルの自然と文化‐歴史地域(1979年登録)◆ 2011年 10月 11日
狭い路地裏を抜けてやってきたのは、聖トリプン大聖堂。1166年に建造されたローマ・カトリック教会で、入口では町の模型を抱えた守護聖人トリンプの黄金の像が迎えてくれます。高い塔が青空を貫き、一見、ゴシック様式に見えますが、塔以外は創建当時の面影を残すロマネスク様式です。 それは、中に入ると分かります。外の喧騒とは対照的に静かな内部。シンプルな薄オレンジの壁に光が入り、温かい印象でした。そして、その壁にフレスコ画の一部が残っていることを見逃しませんでした。 1667年と1979年の地震で、大きな被害を受けました。そこに'91~93年の内戦が追い打ちをかけ、'79年の世界遺産登録と同時に'03年まで危機遺産に登録されました。この壁全体にこの絵が描かれていたとしたら、何と華々しいだろうと想像すると、そんな苦難を乗り越えてきた勲章みたいに見えました。◆コトルの自然と文化‐歴史地域(1979年登録)◆ <美智代の豆知識> 宗教の交差点 2011年 10月 10日
巨大な壁の割には小さな門(↓)。日本の城壁も同様で、敵の大量侵入を防ぐよう作られています。中はトンネルのようになっていて、一瞬、視界が真っ暗になりました。お土産屋さんの建物も組み込まれて、城壁がいかに分厚いかを感じます。![]() この門を抜けると、明るい光に照らされた街が現れました。あちこちに設けられたレストランのテラス席は大勢がくつろぎ、シンボルの時計台を見上げてガイドの説明を聴く観光客、石畳を行き交う人々など完全なる人気観光地。旧ユーゴスラビアの内戦のイメージは全くありません。中世の交易都市は、今は避暑地として大いに賑わっていました。 ◆コトルの自然と文化‐歴史地域(1979年登録)◆ 2011年 10月 09日
ドゥブロヴニクから2時間余り、やっとコトルに着きました。多くの船が停泊し、観光客が行き交う賑やかな町です。入口が分からず、最初は通過してしまいましたが、町はかなり分厚い壁に囲まれていました。長さ4km、厚さ10mで山の斜面にまでジグザグに城壁が築かれています。こんな入り江の奥深くにありながらも、他国からの攻撃に備えねばならない中世ヨーロッパの時代背景がうかがい知れました。 →地図![]() ◆コトルの自然と文化‐歴史地域(1979年登録)◆ <美智代の豆知識> コトルとは? 2011年 10月 08日
コトルへの道は、いくつものカーブが続く深い入り江。ボカ・コトルスカ湾と言い、欧州最南端のフィヨルドです。「アドリア海の花嫁」という別名は可愛らしいですが、行けども行けども、厳ついロヴツェン山が立ちはだかり、なかなかたどり着けません。 海に浮かぶ教会を見ながら一休み。1452年に2人の漁師が聖母マリアのイコンを発見し、祈りを捧げて病気が治ったことから、石を積んで作った岩礁の聖母教会です。船でしか行くことができず、不便だなぁと思いましたが、この深い入り江も船で行けば楽々。しかも張り出した陸地が高波を遮ってくれます。港湾都市コトルが栄えた理由がここにありました。もう一息です。<美智代の豆知識> モンテネグロとは?
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